エビデンスの意味とは?EBM・EBPTって?学び、情報を収集し、活用せよ!!(①学ぶ)
「エビデンス」と聞くだけで、毛嫌いする人もいるでしょう。
はじめに言っておきますが、今までの経験に基づく治療を否定するつもりはありません。もちろん個人を診ることが大切だということもわかっています。
しかし、
エビデンスを学んで理解し、うまく情報を集め、活用することで、今よりもずっとより良い医療が提供できると私は考えます。EBM・EBPTについて
3つのセクションで行う今回はまず「学ぶ」です。
まずは「エビデンス」を学んで、理解しましょう。
あなたはエビデンスのこと、どれだけ理解していますか?
目次
- なぜエビデンスが必要なのか?
- エビデンスとはなんなんだ?
- 専門的だからこそ盲目的になる。
- EBMとは
- それってエビデンスあるの?って言ってる人はエビデンスの事を理解していない。
- NBMの反対語でも無い
- エビデンスとの付き合い方
- 最後に
なぜエビデンスが必要なのか?
「治ればいいじゃないか!」
そんな言葉も聞こえてきそうですが、、、私も確かにそう思います。
しかし、実はその治療が意味なかったり、反対に害を与えているとしたら、恐ろしいことだと思いませんか?
それって、自分たちだけではなかなか見抜けないと思います(様々なバイアスによって)
自分がやっている治療の根拠、正当性を持つ為にもエビデンスは必要だと思います。
まずはこれを知ってほしい。エビデンスを知らなかった悲劇
2011年3月11日にあった東日本大震災
多くの人が犠牲となり、心に傷をおった多くの子供たちがケアを必要とした出来事である。
そこには多くの臨床心理士がケアに赴き、介入を行った。
心理的デブリーフィングとはトラウマの内容を吐露させる心理的介入。
これによって子供たちは救われたか?
答えは悲劇的なものだった。悪夢にうなされたり、情緒不安定になる結果となってしまった。
実はこの心理的デブリーフィングは、阪神淡路大震災の後に注意を促していたり、2001年に起きたアメリカ同時多発テロ後に、害があることを警告するコクランレビューも発表されていました。(Psychological debriefing for preventing post traumatic stress disorder (PTSD). - PubMed - NCBI)
この場に駆けつけ行った臨床心理士の多くは悪意なく、「助けたい」という一心での行動だったと思います。
しかしその行動は、子供たちに害を与える結果となりました。
まさにこれはエビデンスを無視または軽視した為に起こった悲劇の一例と言えます。
一歩間違えれば害となる。知らなかったでは済まされない。
それが医療です。
だからこそ、エビデンスを知る必要があるのです。
あなたがその手で人を殺してしまう事だってあり得るのですから。
エビデンスとはなんなんだ?
世の中には様々な治療があります。同じ疾患であっても、いろいろなアプローチがある。それは本当に効果があるの?悪くならないの?
これらを確かめる為には実験で確かめるしかありません。
「なんとなくあやしいな」というものでも、臨床実験での結果が得られれば、良いわけで、科学とは公平なものなのです。(怪しそうなのはだいたい効果を支持するエビデンスが無かったりする)
専門的だからこそ盲目的になる。
「これを飲めば治る」と言った商品は世の中にいくらでもあります。他にも「祈りましょう」や「磁場を利用して」など。
これらに科学的根拠の効果は現在ないものがほとんどです。
感覚的にも「何をバカなことを言っているんだ、そんなもの効果が無いに決まっているじゃないか」と思う方も多いと思います。
しかし、これは現代の科学が少しずつ証明してきたからであり、今でもある地域では"呪術"たるものが存在し、病が治ると信じられています。
ではストレッチは拘縮(関節包外の軟部組織が原因で起こる関節可動域制限)に「効果がない」と言われたらいかがですか?
これはコクラン共同計画(コクラン共同計画の詳細は次回に記載予定)に公表されているものです。
もちろんストレッチの全てを否定するつもりはありません。
ケガの予防や痛みに対しては効果があるといった報告もあります。
ストレッチの効果に関して詳しく知りたい方は↓オススメ
拘縮の改善及び予防には効果が無い
しかし、この事実を知らされても、多くのリハビリ専門職の方は信じられないのでは無いでしょうか?
医療は日進月歩であり、日々更新されています。
効果があるものを提供する事が、治療者の責任だと思います。
知らず知らずにただの"祈り"と変わらないことをしていませんか?
あなたは、なぜその方法を選んでいますか?
リハビリテーションのアプローチには多くの手技と言われるものがあります。
多くの方法の中から、なぜその方法を選んだか、その理由は以下4つが当てはまるのでは無いでしょうか。
①その手技が好きだから
②その手技を多くの時間と時にはお金をかけ学んだから
③所属施設で求められているから
④効果があるから
私も、様々な手技を学び、それらを試してきました。いつのまにか目の前の方を診ているようで、実際には手技が中心となり、無理やり対象者をその手技に当てはめていた経験があります。
②その手技に多くの時間と時にはお金をかけ学んだから は多くのリハビリの先生方は経験があると思います。ウン万円もする講習会に通い、習得したものを絶対に効くと信じ、盲信的に行ってしまう。かけた時間とお金のことを考えて、後には引けない状態です。これはまさしくサンクコスト効果であり、効果が出ないとわかってもその手技に更にかけてしまうことになります。
患者の立場で考える
上記の①〜③は治療者の立場からでしかない理由であり、患者(クライアント)の立場からすれば全く関係のない話です。
何よりも「効果のある/ない」で判断し、もちろん効果があるものを提供してほしい。
ただそれだけです。
「この病院は〇〇の方法で有名なんです」と言われても、その方法に効果がなければ意味がありません。
なのに、そこに従事する方はその方法を疑いもせずに今日もその手技ばかりを行っています。
なぜ効果の無いものを効果があると思ってしまうのか
「効果があれば良い」とは述べましたが、その「効果」についてはもう少し掘り下げる必要があります。
世の中になぜ効果の疑わしいものが多く存在するのか?
信じられないようなものでも、必ず「効いた」という人が存在します。
そこには2点の大きな理由が考えれます。
1、人にはバイオリズムが存在し、調子の良い悪いの波がある。
調子の良し悪しは、特に理由がなくても経験した事があると思います。波のどん底の時にたまたま代替医療(通常の医療に代わる方法)を試し、それがどん底から回復する時と重なって、効いたと思う。それをしなくても、回復していたのかもしれないのに。
人間は目の前の現象に腑に落ちる理由を求めたがります。いつもと変わったことをして、良くなればそれが原因だと思い込んでしまうわけです。
2、プラセボ(プラシーボ)効果
「病は気から」この言葉が意味するように、気持ちが変われば病気も改善する。実際に偽薬による身体に実際に変化をもたらす報告はいくつもあります。
(ラットへのプラセボ条件付けでもあるので人の例とはまた違いますが、こんな研究もあって個人的にはすごく面白い
プラセボ効果で痛みが和らぐのはなぜか |理化学研究所 生命機能科学研究センター(BDR) )
これら2つが重なって効果の無いものでも、効果が出現する人は一定数いるわけです。
治療者が効果があると思うのは更に厄介
実際に目の前で効果の出現する方を見てしまうことに加え、治療者(セラピスト)側にいくつかのバイアス(思考の偏り)がかかります。多い例を以下に3つ紹介します。
1、確証バイアス
自分の都合の良いように事ばかりの情報を仕入れてしまう。
「この方法は効果があるという評判ばかりだな。」(ネットで4、5件書かれているのをたまたま見ただけなのに)
2、正常性バイアス
自分に都合の悪いものは過小評価し、寄せ付けない
「この方法効果ないって言ってるけど、実際目の前の人には効果出てるし」(その効果は上記の可能性)
3、観察者期待効果
観察者の期待する部分にしか意識がいかない
「姿勢良く歩けてるな、OK」(見られて緊張してただけ)
ここまで記載してきた事は多くの臨床の現場で見られる事であり、自分1人では判断できません。患者側も治療者側にも真の効果を見えなくしているからです。
ではどうすれば良いのか?
それをエビデンスが知っています。
EBMとは
EBM(Evidense-Based Medicine)という言葉が発表されたのは1991年Guyattの論文によって初めて使われた用語であり、その中にこの方の定義が書かれています。
臨床家にとって、エビデンスに基づく医療とは、文献検索の技能、批判的吟味力、情報統合力を要するものである。また、エビデンスを目の前の患者に適用可能かどうかを判断する能力や、もし直接的エビデンスが欠如している時に決断をするにあたっての系統的アプローチも要求される。
また、David L.sackett らによる定義は
”the conscientious, explicit and judicious use of current best evidence in making decisions about the care of individual patients”
(一人一人の患者の臨床判断にあたって、今現在の最良の 証拠を、一貫性を持った、明示的かつ妥当性のある用い方をすること)
更にSackett er al.(2000)は
Evidence-Baced Medicine(EBM)とは、研究による最善のエビデンスと臨床技能、および患者の価値観を統合するものである。
と述べています。
EBMとは「科学的根拠にも基づく医療」という訳され方をしますが、これは誤解を産んでいるのかもしれません。
EBMとは目の前に患者に対して、適用可能である方法を、今現在の最良の証拠を基に考え出すことだと思います(あくまでも個人的解釈)
ただ、出された論文を書いてある通りにするだけがEBMではありません。
論文を基に経験則も踏まえて、
現段階での最良の方法を患者主体とし、提供する事が真のEBMになります。
そこにはもちろん、治療者側の技術も必要となってきます。その為の手技の必要性もあると思います。だから、今までやってきた事は決して無駄ではないのです。
そこに盲目的にすがるのではなく、応用し実践していく事が大切です。批判的に。
ちなみに、EBPT(根拠に基づいた理学療法)についての定義も示されています。
Evidence-based Physical Therapy:根拠に基づく理学療法
EBMの概念に基づいてEBPTの概念的定義を考えると、「EBPTとは、個々の患者に関する臨床問題や疑問点に対して、(1)臨床研究による実証報告としての科学的根拠、(2)理学療法士の臨床能力、(3)施設の設備や機器の状況、(4)患者の意向や価値観を統合した最適な臨床判断を行うことによって、質の高い理学療法を実践するための一連の行動様式」と位置づけることができます。わが国の理学療法領域では、科学的効果判定の追究をはじめ、理学療法の科学性の確立に積極的に取り組んできていますが、現在のEBMの限界や理学療法特有の問題などから、EBMをそのままEBPTとして導入し実践するには課題も多く、研究の蓄積が臨床に十分生かされていない面があります。EBPTは、個々の患者により良い理学療法を提供するために具体的な行動や判断の基準を示した実践的な方法です。今後は、臨床において実践を通して一つ一つの課題を検討していくことによりEBPTの内容も進歩し、理学療法の科学性を向上させることが望まれます。EBPTの実践によって、中立的かつ科学的な根拠と患者の意向や価値観を尊重した質の高い理学療法を展開することが可能になると考えます。2009年05月01日掲載
それってエビデンスあるの?って言ってる人はエビデンスの事を理解していない。
なぜエビデンスが大事なのか、どう使うべきなのか、
私はこの考え方が非常に大事だと思っています。
しかし、EBM、EBPTという言葉だけが先走り、正確に理解されていがために起こる、
それってエビデンスあるの?という、マウンテンゴリラセラピストが散見される事を、非常に残念に思います。
何故なら以下の2点を理解していれば、そのような考えにならないと思うからです。
1、エビデンスとは統計的な手法を用いている。
臨床試験での一番信頼がおけるデザインはランダム化比較化試験(RCT)であり、統計的手法を用いています。統計での問題であり、そこには必ず漏れる方がいます。エビデンスがあるからと言って全ての方に効くわけではありません。エビデンスがある。そこから更に考え抜いてから、治療に用いる事がEBMになるので、エビデンスあるの?は浅はかです。
2、エビデンスが無いものは全て効果がないのか。
あくまでもエビデンスとは臨床実験がされてから公表されます。そもそも対象データ(疾患数や終末医療)が少なかったりすれば、研究自体が少なく、信頼できるデータは集まりません。エビデンスが無いからといって治療はしないのか。ではなく、それ以外にも解剖学に基づく事や経験則を使う事は不正解だとは言い切れません。その方法がこれからの大きなデータになる可能性もあり、一般化されることも将来ありうるからです。言うなれば、エビデンスとは過去のデータの蓄積であり、そこから未来を作るのは各臨床家の役割でもあるからです。
だからそんなマウンテンゴリラには言ってやりましょう。
エビデンスがあれば良いのですか?と。
EBPTとは?
エビデンスがあれば良いのかと言えばそういうわけではありませんが、やはりしっかりと効果のあるものを提供すべきです。
理学療法の場合はEBPTとなるわけですが、
では、そのEBPTをどうやって進めれば良いのでしょうか。
今回、これは以下サイトに丸投げしますので、見てください↓(この第3回で説明する予定 別に疲れたわけじゃないんだからね!)
また、ガイドラインも多く出されていますので、これは見て欲しいです!!
今年に第2版も予定されていますし!!
NBMの反対語でも無い
EBMについて少しでも理解していただき、誤解している部分が解消されればと思っています。
そこでEBMの対照としてNBM(Narrative-Based Medicene)が挙げら、それについても知っておく必要があります。
NBMとは「物語りと対話に基づく医療」と訳されます。
患者が語る「物語」から,病気だけではなく、患者個人の背景や人間関係を理解し、患者の抱える問題を全人的(身体的、精神・心理的、社会的)にアプローチしていこうとする考え方となっています。EBMの後に提唱された考え方です。
『EBMでは全ての人は当てはまらない!もっと個人を診ようよ!』という雰囲気で思われがちですが、そもそもEBMは患者主体であり、個人を診ています。
NBMの位置付けとしてはEBMを補完するものとしています。
その方の背景を重視する事が、エビデンスを軽視する事には繋がりませんし、対立する構図にはなりません。
どちらも重視し、そして個人として患者を診ていく事が大切なのです。
エビデンスとの付き合い方
エビデンスに対する批判や誤解は多くあると思います。何事もそうですが、理解しうまく付き合っていく事が大切です。今後、エビデンスと関わる中で起こりうる問題と解決策を記載します。
エビデンスによって特定の手技を批判すべきでは無い!と言われたら。
批判には2種類ある
①科学的根拠に基づいた合理的かつ健全な批判
②根拠のない、感情的批判
これらは区別されるべきであり、
①は学問の進歩において欠かす事のできない批判であり、真摯に受け止めなければいけない。
②は嫌な気持ちしか生まれないのでやめましょう。
エビデンスは統計的多数者を重視し、少数者を切り捨ててる!と言われたら。
科学が統計に頼るのは、人間や社会の減少に不可避の誤差や偶然はランダムな性格を有しており、それに対処するには確率を用いるのが最善の方法だからである。たまたま―日常に潜む「偶然」を科学するより
効果のある人もいれば、効果の無い人もいるし、同じ人でもタイミングによっては効果の無い時もある。仮に80%の人が効くからといって、20%の人が効かないから20%の人を切り捨てるという意味ではなくて、それは80%の人にしか効果が無いとしか言いようがない。100%効くというと嘘になる。
ただ、治療の選択肢として確率の高いものを選ぶのは、合理的であり倫理的である。効果が出なければ次の手法を用いれば良いだけの話だからです。
ランダム化比較試験は対照群はかわいそうじゃないか!と言われたら
そもそも実験なので、そこに効果があるか、もしくは害があるかもわからない。全員に同じ事をすることこそ問題です。
また、逆もあり今までなされた古い治療と何もしない群で分けることもある。その際に古い治療に効果が無いもしくは害があるということもあります。
エビデンスは大事だけどエビデンスが全てでは無い!と言われたら。
その通りです。EBMは目の前の患者に対して最良の方法を考え出す手法であり、その根拠にエビデンスを使用するだけで、エビデンスが全てだと言っていませんよ。
最後に
ワンピースの名言 で最も私が好きなのは
・・・・何かと言えば「命」「生け贄」「血」
・・・・それで神が喜ぶのか
この儀式は我々に対する侮辱だ!!!
過去の偉人達の功績を無下する様なこの儀式を私は許さん!!! 人々の幸せを望み...海へ乗り出した探検家や研究者達へのこれは侮辱だ!!!! 人の命を望むとされるお前達の神にとっても!!これは侮りではないのか!!! byモンブラン·ノーランド
です。
これは流行り病に対して、生贄の儀式を行う事に対しての怒りです。
医療とは日進月歩であり今日の常識は明日の非常識になり得ます。
人生を扱う仕事でもあるリハビリ職は日々精進し、最良の方法を提供しなければなりません。
自分の目の前の現象しか信じない場合、それは生贄の儀式を行っているに過ぎないかもしれないのです。
視野を広げ、多くを学び、知恵や技術を科学的根拠に基づいて提供していかないといけないと思います。
私の手が誰かの為になるように、日々精進して参りたい所存です。
知りたく無い?↓
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