【起業】理学療法士が起業する!? 第00話「起業への想い」
理学療法士である私が、起業へのストーリーを
リアルに
ほぼリアルタイムで
お送りしていくのが、この
「理学療法士が起業する!?」
になります。
果たして無事に
起業出来るのか!?
それはいつになるのか!?
潰れずにやっていけるのか!?
私も含めて、楽しんで見ていただき、
悩んでいる方は、少しでも参考にしていただければと思います。
今回は第00話という事で、起業したいと思った経緯を書きます。
自分語りなので悪しからず。
目次
私
私はなぜ理学療法士になったのか。
高校三年生の春、誰もいない教室で進路について考えていました。
それまで、放課後は部活なり遊ぶなり、友人と一緒の毎日でしたが、
一人で教室にいた時に、外ではサッカー部の声や吹奏楽部の楽器の音が聞こえていました。夕暮れ時でもあった為か、妙に教室は静かで、薄暗かったことを覚えています。
ふと私はそこで、妙な感覚にとらわれました。
「俺はここに存在しているのか?」
これは空想の世界なのかもしれない、夢なのかもしれない、幽体なのかもしれない
誰もが一度は思ったことがあるでしょう。実は今の自分は作られた世界なのではないか。
高校三年生にもなって、そのことについて真剣に考えたというか、囚われてしまいました。悲壮と恐怖を感じながら。
どうやったら、
”自分がここにいる”と実感できるか、
教室の椅子を見下ろしながら、自分と向かい合っているかのように悩んでいました。
そこで、ふとその自分がこちらに何か言っていたように見えました。
『ありがとう』
『誰かの役に立ち、直接的に「ありがとう」と感謝されること』
それが自分が存在している証明だと、誰かに直接的に認めてもらえること。他者と自分の関係がはっきりすること。
それが唯一自分の存在を証明する事だとその時に思ったのです。
そんな仕事に就こう!
その場にあった職業一覧の本を読み、目に留まったのが
「理学療法士」という仕事でした。
17歳にして、中二病にかかっていたおかげで、巡り会えたこの仕事
心から良かったなと、今でもそう思っています。
理学療法士になってから
はじめに療養型の病院に就職しました。また、老健も併設していましたので、そちらでも職務についていました。
その就職先は研鑽については、そこそこ熱心だった思います。
ただ、手技にこだわる先輩は患者様を待たせたり平気でしていたので、いくら腕が良くても、あれはダメだなという体験がありました。
また、病院では60分のリハビリを行うために、必要のないマッサージをすることに飽き飽きしていた事もありました。
老健では色々な経験をしました。レクや集団の必要性や効果、デイケアもやってましたので、在宅へ行く機会も多くありました。
その頃から「在宅」への興味が強く湧いてきたと思います。
そこで4年ほど勤めていましたが、結婚をし子どもが生まれた事を機に
奥様の実家の近くへと引っ張られてきました。
そこで1回目の転職です。
実はその頃、理学療法士が経営者として活躍していることや、理学療法士の起業ブームもありました(特に訪問看護)
当時そのようなセミナーにも参加していたので、いつかは自分でもやりたいなと思っており、就職先も理学療法士がトップに立っているところを探し出したわけです。(第一希望は面接で落ちたことは内緒)
一般職から、リハ科副主任となり、老健の立ち上げにも携わり、介護士への介助指導や全般に色々とやっていました。
最終的にリハ科をまとめる事になり(副主任のままだけど、私の上が拠点所長という謎な立場)あくせく働いていました。
まぁまぁブラックな職場だったんですが、人間関係は良くいい人ばかりでした(みんな辞めちゃいましたけどね)
そこで、経営のことや営業なども少し勉強させてもらいましたし、何より一番は人材育成や人間関係にひたすら尽力していました私なりに(全職種と接点を持って)
それが今では大きかったなと思います。
それぞれやる気はあるのに、それが発揮できない環境は会社が悪かったり、上司の言葉がけ1つが悪かったり、何とか解決できないかと、あの手この手を模索していました。
「良いサービスができる人は、良い待遇を受けている人」それが私なりに出した答えであり、特に福祉の世界に入り、この職場を選んで入ってきてくれた人たちは良い人財のはずなのに、、、と色んな人と話してて思った次第です。
まあそんな職場も、残業は多いし、休みも少ないし、忙しいので、
自分のことをする時間が欲しいなということで5年半ほど勤めましたが、辞めました。
次の転職は療養型の病院です。とにかく休みが多い(年間121日)ことと、
9時〜17時30分の就業時間で残業もないということで選びました(給料も上がる)
ここはデイケアもやっていて(今はもうありませんが)そこがゆったりとしており、利用者様もそれぞれ楽しみに、ここに来ているという事がよくわかる場所でした。
病院は寝たきりの方が多くおられますが、その中で家族の方と話す機会も多く、人の数だけ色々な想いを持たれていることがよくわかり、勉強になる職場です。
で、現在に至っています。
自分語りはここまでで、起業についての話です(ここからも結局は自分語りだけどね)
なにがしたいの?
①自分が仕事で思っている事を自由にやりたい為
②楽しく生きがいとして働ける従業員を多く作りたい
③認知症の方・その家族が死ぬまで安心できる場 障がいがあっても自由に生きる権利が尊重される場を作りたい
この3点を思いましたが、実現するためには
「自分で作るしかない!」と思ったのが初めです。
今まで雇用されていた中で感じたこと
働いてきた中で、強く思う事があります。
「大事にされていると自覚できる従業員は、お客様を同じように大事にする」
組織にいてると、よくわからない指示がとんできます。
きっとトップは強い想いがあるんでしょうけど、伝言ゲームの結果
現場への負担が最大化する結果が生じる事が多々あります。
「現場に任せて、やらせてあげなよ」
そう思うことが本当に多かった次第です。
どんなところが理想なのか
理想的なところとは通常のデイサービスと放課後デイサービス2つの共生型デイサービスになります。
デイサービスと放課後デイサービスとの融合
人間社会における高齢者の役割を考えていく中で、ある思いが生まれました。
「社会との関わりや他者と互いに助け合う事が人間の本質であり、高齢者ができることは長年の経験から得られる知識を伝えることではないか。」
そのことを実行する事が高齢者の社会参加になると考えま した。
もうひとつは、(放課後デイサービスに関して)日本を今後背負う子どもたちを「育てたい」と思 いました。夫婦共働き、片親、核家族化が当たり前の中、2020年の教育改革を機に、様々な変革の時代が来ます。共に育て、共に成長し、一人でこの時代を生き抜く人間、そして日本の未来を背負う「自立」した人間を育てたい。そう思う中で、障がいのある子どもは今の社会でどのように成長していくのか不安に感じています。その思いから放課後デイサービスの開設を考えました。
最後に大きな理由として、私がデイケアに従事している時の体験があります。保育園の園児がデイフロアにやってきた時、子ども達の顔を見た利用者様全員の表情が見たことの無いほどの笑顔になりま した。子どもは高齢者に笑顔を与え、高齢者は子どもたちに生きる知識を与える事ができる。そう思った時、私は高齢者と子どもたちが一緒に交遊できるような場を作りたいと思い、デイサービスと 放課後デイサービスが共生する場を、作ろうと決心致しました。
他に考えていたこと
「レンタルケアワーカー 【レンカ】サービス」
「欠勤や退職に伴う急な人手不足に!イベントや月末の処理業務の時に!猫の手も借りたい日ってありま すよね?? また、空き時間に収入upしたい!でも決まった日には中々難しい。そんなケアワー カーさんはいませんか? そんな時には【レンカ】です。各事業所さんには、専用サイトから登録していただくと一度担当者が訪問させていただき、必要事項をお聞きいたします。その後、必要な時に専用サイトから業務内容を明示し、予約していただくと、空いているケアワーカーが派遣される仕組みです。業務終了後専用サイトからその時のケアワーカーの仕事内容や出来を評価していただき終了です。」
みたいなのもできたらいいなと思っていたら、世の中には既にありました。
あとこれからできるようです!!
もうあるので、これからはより良い人材不足解消に協力できればなと思う次第でございます。
で、今は何をしているか
ここにあるように、今はセミナーに行きつつ相談したり、事業計画を立てたりしています。
いきなり大きいものは建てれませんので、まずは地域密着型デイサービスから始めようと思っている次第です。
そんな起業物語をリアルタイムで書いているのがこのブログです。
最後に
本日も読んでいただいた方、ありがとうございました。今後が気になるかた下をポチッと押してください。